霧島神宮古宮
霧島連山・高千穂峰
鹿児島神宮
『八幡愚童訓』には、
「震旦国隣大王(陳大王とも言う)の娘の大比留女(おおひるめ)は七歳の時に朝日の光が胸の間にさし入り、懐妊して王子を生んだ。王臣たちがこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべたところ、船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着いた。その太子を八幡と名付けたので船の着いたところを八幡崎と言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載があるとのことです。
また今昔物語にも、「八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れた」と記載されており、現在日本に数万ある八幡神社の元祖は、元々は鹿児島神宮だったとされています。